私の学生時代~「コミュ障」を克服するまで①~

こんにちは!
あずまです!

今回は私が「コミュ初期」を克服するまでの実体験をお話ししていきたいとおもいます!

 

今でこそ「コミュ力を克服する方法」を発信し、自分の「コミュ力」に自信を持ち、周囲の人からも対人能力を褒められる私ですが、


学生時代は目も当てられないようなコミュ障でした。

 

 

私がコミュ障を自覚したのは中学3年生の時でした。

 

一般的な「コミュ障」と言えば、クラスで活発な人や、異性と話せない、人の目を見れない等が上げられると思いますが、

 

私の場合はそれ以上、
人に話しかけられても「首でしか会話できない」という状況でした。

 

どういう意味かと言いますと、学校では一言も発さず、話しかけられても頷くことや首を振ることしか出来なかったんです。

 

高校生になると「うん」、「そうそう」など一言返事は出来るようになりましたが、とても人と会話ができているとは言えませんでした。

 

母親や先生にも大きな心配をかけ、見かねた母親に精神科や心理カウンセラーに連れられました。

 

一件目、二件目の精神科ではADHDじゃないか、鬱病ではないか、と診断され、入院して同じ境遇の人と過ごした方が良いとまで言われたのを覚えています。

自分としては家では普通に話せるし、気分も落ち込んではいなかったので、そう言われるとものすごくショックでした。

 

そして三件目の精神科。

そこである先生と出会ったのが私の一つ目の転機です。

その先生は一通り私や母親の話を聞くと、次のように話しました。
 
「あずま君はADHDでも、うつ病でも無いですよ。」

「自分はどこか障害があって、人と普通には話せないんだ」と感じていた私にとって、その言葉は驚きと希望をくれました。

 

 

先生は次のように続けました。

「コミュニケーション能力の差というのは、

                                    個人の「人と話す経験」の差です。」

 

「今は活発で人気者のように見える人も、最初は話せなかったし、様々なコミュニケーションの成功や失敗を経験したから、そのように振る舞えているんです。」

 

そして話してくれたのは、
とくダネ!でお馴染みの小倉キャスターは実は吃音症で悩んでいたという話でした。

 

吃音症とは、どもって言葉を流暢に話せない病気です。

 

彼はアナウンサーを志す他に、バンド活動、DJコンテストなどの司会、マイクの前に立つ機会も増やしていったのだそうです。

結果として一流のアナウンサーとなり、長い間日本の朝の顔としてお茶の間に親しまれる存在になりました。

 

この話を聞いて、私は少しずつ「変わっていくこと」を決意しました。